1月22日 礼拝のお知らせ
礼拝のおしらせ
こどもの礼拝(9:00-9:40)
主日礼拝(10:15-11:15)
・説教者:中井牧師
・説教題:「福音の出来事」
※新型コロナウィルス感染症への対応
・礼拝へのご出席はマスクの着用をお願いします。
・体調の優れない方は出席をお控えください。
・讃美歌は奏楽を聴くのみで歌詞を味わい黙想して下さい。
・教会備え付けの聖書、讃美歌は使用しません。
・礼拝堂の換気をしています。
・礼拝堂の人数制限(80人)を行っており、上限を超えるときには礼拝中継を実施しているキリスト会館へとご案内しています。ご了承ください。
Youtube と Facebook で礼拝を配信しています。
—牧師コラム「麦嵐-bakuran-」—
先日、佐野宣雄さんより、以前に島村須美江さんが倉敷教会報に寄稿してくださった記事を印刷して島村稔さんとご家族に差し上げたところ大変喜ばれ、慰めになったということを伺いました。倉敷教会では時宜に応じて教会報が発行されてきており、今では神様の御許へと召された方々が折々に文章を寄せてくださっています。佐野さんからはその会話の中で、教会報に文章を残されている方のご遺族やお子さんたちに引き続き記事を差し上げていきたいものですね、という素晴らしいご提案をいただきました。今は亡き愛する方々の文章がお子様たちに届けられるとき、亡き方の声やお姿がよみがえり、臨在を感じられることでしょう。ご奉仕についてはゆっくりと実践していくこととして、言葉に命が宿るという真理を目の当たりにする喜びを実感しました。キリスト教会は歴史を書き、文書を残してきた宗教と捉えられています。使徒たちが現実に宣教をご一緒した主イエスについて証しした信仰の文書から始まり、古代教会の会議録や教父たちの文書、中世の修道士や近代の神学者の思索が刻まれた文書においても、さらに現在の倉敷教会においては週報であり役員会記録であり教会報といった日常の文書の蓄積といったものの総体が信仰の証しとなってきました。そこには私たちの知る信仰の先達の記事が今も生きたものとして私たちに語りかけてくるのです。死は死で終わらない。一粒の麦は死ななければ一粒のままであるが、死ぬことによって豊かな実を結ぶ。命を握り続ける者は失い、命を手放すものは永遠の命に至るという逆説が真実であることを知ることの出来る一場面であるといえるでしょう。(中井記)