10月9日 礼拝のお知らせ
礼拝のおしらせ
※礼拝堂建築100周年記念事業として礼拝堂大屋根葺き替え工事(工期7月18日~10月12日頃)が進んでいます。礼拝は当面、会館1階を会場に執り行います。
こどもの礼拝(9:00-9:40)
主日礼拝(10:15-11:15)
・説教者:林副牧師
・説教題:「キリスト、栄光の希望」
※新型コロナウィルス感染症への対応
・礼拝へのご出席はマスクの着用をお願いします。
・体調の優れない方は出席をお控えください。
・讃美歌は奏楽を聴くのみで歌詞を味わい黙想して下さい。
・教会備え付けの聖書、讃美歌は使用しません。
・礼拝堂の換気をしています。
・礼拝堂の人数制限(80人)を行っており、上限を超えるときには礼拝中継を実施しているキリスト会館へとご案内しています。ご了承ください。
Youtube と Facebook で礼拝を配信しています。
—牧師コラム「麦嵐-bakuran-」—
運命に対して、これを自分の人生において受け入れざるを得ないものとして諦める態度は、運命を神格化しているという点で偶像崇拝になります。わたしたちは「この世界を創られた神の働きは、いまも生きている」と考える信仰を持っています。そうした中、運命と向き合う態度において「人よく己を虚ろにして以て世に遊べばそれ誰かよく之を害せん(人は自分の内側をからっぽにして世を自由に生きるとき、その人の人生を妨げることのできる者は誰一人いない)」という荘子の言葉で補助線に引けば、たとえわずかな自由であっても、なにびとにもそれを阻害できるものではないことが明らかになります。運命に向き合うときにも、自由・自主・独立の精神を侵されないフロンティアを人間は持っているというのです。「自由の重さは、人間性の重さである」というのは霜山徳爾さんの言葉です。自由というのは領域ではなく質量だという考えであり、自由というのは人間が人間であるということの要因であるということです。ヨハネによる福音書8章32節「真理はあなたを自由にする」との主イエスの御言葉は、人間の内にある自由は神の御恩寵によって創造されたものであり、自由の内的な生命は人間の意識にのぼることなく輝き続けている、その輝きを見つめたときの気づきを「真理」と呼ぶものであることを示しています。(中井記)