12月12日 礼拝のお知らせ
礼拝のおしらせ
こどもの礼拝(9:00-9:40)
主日礼拝(10:15-11:45)
・説教者:林副牧師
・説教題:「慰めよ、慰めよ」
※新型コロナウィルス感染症への対応
・礼拝へのご出席はマスクの着用をお願いします。
・体調の優れない方は出席をお控えください。
・讃美歌は奏楽を聴くのみで歌詞を味わい黙想して下さい。
・教会備え付けの聖書、讃美歌は使用しません。
・礼拝堂の換気をしています。
・礼拝堂の人数制限(80人)を行っており、上限を超えるときには礼拝中継を実施しているキリスト会館へとご案内しています。ご了承ください。
Youtube と Facebook で礼拝を配信しています。
—牧師コラム「麦嵐-bakuran-」—
先日、「語らい座 大原本邸」の紅葉が色づきました、というお知らせを山下陽子館長からいただいたのでお庭を拝見してきました。お座敷から庭を眺めると、錦繍を窓枠におさめたような「絵」になっており見事でした。陽の光が差し込み、繊細な紅葉の葉が細やかに揺れる景色のなかで山下館長と時間を忘れて語らうときとなりました。倉敷にも歴史があり、物語があります。私たちの倉敷教会にも、歴史があり、信仰の先達の物語が語り継がれています。それらは有って当たり前とも思われるように、日常の中では意識されていきません。しかし「当たり前に存在するもの」は、考えてみれば、私たちの周囲にどれほどあるでしょうか。人間は、失って初めて、その存在の大きさや価値に気づくことが多いように思えます。言い換えれば、私たちの感受性の定位置は「鈍感」なのであり、意識しなければ通り過ぎてしまう程に、無意識の支配力は大きいのです。私は倉敷に来る前は、大阪の吹田にある千里ニュータウンにおりました。千里は、まちびらき50年の新興住宅地です。千里では逆立ちしても手に入れられない文化的遺構や暮らしに根ざした風情が、倉敷には多くあります。そうした風情も、意識していかなければ弱るものでもあるようです。大原美術館にしても、有って当たり前ではありません。美術館のない街が、いつかは美術館のある街になろうとすれば相当高い条件を乗り越えなければなりません。しかし、倉敷にはすでに美術館がある。意識してみると、つくづく倉敷の街の歴史を生きた方々が成してきた偉業には錦繍の味わいがあるように思えます。(中井記)