12月18日 礼拝のお知らせ
礼拝のおしらせ
こどもの礼拝(9:00-9:40)
主日礼拝(10:15-11:15)
・説教者:中井牧師
・説教題:「御子が来られた理由」
※新型コロナウィルス感染症への対応
・礼拝へのご出席はマスクの着用をお願いします。
・体調の優れない方は出席をお控えください。
・讃美歌は奏楽を聴くのみで歌詞を味わい黙想して下さい。
・教会備え付けの聖書、讃美歌は使用しません。
・礼拝堂の換気をしています。
・礼拝堂の人数制限(80人)を行っており、上限を超えるときには礼拝中継を実施しているキリスト会館へとご案内しています。ご了承ください。
Youtube と Facebook で礼拝を配信しています。
—牧師コラム「麦嵐-bakuran-」—
私が大学に在学していた頃、携帯電話が普及し始めました。誰かと待ち合わせるにしても、ある程度の予定を取り交わし、あとは当日の直前に電話でやり取りすれば簡単に合流できるのです。携帯電話は学生の暮らし方を劇的に変化させました。あるとき学部の先生がご自身の留学時代のお話をして下さいました。ドイツに留学している頃、携帯電話もポケットベルもない時代、現在のお連れ合いとお付き合いしていたときのエピソードです。いつものデートのために駅で待ち合わせをしていると、お相手がなかなか来ない。10分待ち、30分待ち、1時間待つ。とうとうお相手の寮に電話をかけましたが、彼女は出かけたということだけしかわかりません。先生は、そのときに「約束の時間をどちらかが間違えたかしら」、「どこか途中で具合が悪くなったのではないだろうか」、「いや、ひょっとして私のどこかに気に障るようなことがあり、予定を反故にされたのでは」など次々と思いが浮かぶのだそうです。はじめは彼女のことを心配したり、約束したときの過去を反復したり、しまいには彼女に対する自分自身の振る舞いを反省したり、本当に含みの豊かな時間を「待つあいだ」にもつのだというお話しでした。携帯は「待つ」ことを解消する劇的な道具だったけれども、「待つ」ことの意味を暮らしから打ち消してしまったのかもしれません。アドヴェントの日々、御子の降誕を心から待つ備えが私の内側に整えられているか、耳を澄ませて自省したいと思います。(中井記)