12月25日 礼拝のお知らせ
礼拝のおしらせ
こどもの礼拝(9:00-9:40)
主日礼拝(10:15-11:15)
・説教者:中井牧師
・説教題:「主はいつもそばに」
※新型コロナウィルス感染症への対応
・礼拝へのご出席はマスクの着用をお願いします。
・体調の優れない方は出席をお控えください。
・讃美歌は奏楽を聴くのみで歌詞を味わい黙想して下さい。
・教会備え付けの聖書、讃美歌は使用しません。
・礼拝堂の換気をしています。
・礼拝堂の人数制限(80人)を行っており、上限を超えるときには礼拝中継を実施しているキリスト会館へとご案内しています。ご了承ください。
Youtube と Facebook で礼拝を配信しています。
—牧師コラム「麦嵐-bakuran-」—
「明日のことまで思い悩むな」とイエス様はおっしゃいました。私は、この言葉を教わることで、見通しの効かない未来のことを今から悩む必要はないのだと理解しました。簡単にいえば、ほっとしたのです。今、筒一杯まで抱え込んでいる課題について、順番をつけて整理してみると、少しゆとりをもって今日という一日を見直すことができるのです。イエス様は、本当におおらかな方で、私を安心させてくれる方だと思えるのです。イエス様は、神様を信じていましたから、何処までいっても徹底的に神様にすべてを任せていけばいいのだという楽観的な信仰をお持ちのようでした。ただし、それは生きるのを頑張らなくてもいいというメッセージではないようにも思えるのです。イエス様のメッセージは、今日は何もしなくてもいいというのではなく、今日考えなければならないものは取り扱うということを含んでいます。すべてを神様に任せてしまえば解決するだろうという考え方はまた、イエス様のメッセージを利用しながらも、自分の人生を軽んじていることになるのです。イエス様は、明日のことまで思い悩むなと人に語りながら、ご自分では十字架の最期をむかえるまで、今を思い悩み続けて一生懸命に生きたはずなのです。こうしてみると、イエス様の言葉には、必ず二面性があります。人を大きく解放して下さるような、安心を提供して下さる言葉と、それでも人生を自分で手放してはならないという緊張感ある言葉の二面です。安心と緊張というそれぞれの端っこを行ったり来たりするような面があるのです。そのような二面性を備える有り様を豊かな信仰と呼ぶのです。(中井記)