12月5日 礼拝のお知らせ
礼拝のおしらせ
こどもの礼拝(9:00-9:40)
主日礼拝(10:15-11:45)
・説教者:中井牧師
・説教題:「神の働きの証明」
※新型コロナウィルス感染症への対応
・礼拝へのご出席はマスクの着用をお願いします。
・体調の優れない方は出席をお控えください。
・讃美歌は奏楽を聴くのみで歌詞を味わい黙想して下さい。
・教会備え付けの聖書、讃美歌は使用しません。
・礼拝堂の換気をしています。
・礼拝堂の人数制限(80人)を行っており、上限を超えるときには礼拝中継を実施しているキリスト会館へとご案内しています。ご了承ください。
Youtube と Facebook で礼拝を配信しています。
—牧師コラム「麦嵐-bakuran-」—
人生の終末期(ターミナル)におられる方の病床を訪問するとき、お声かけしても反応が返ってこないことはよくあります。それでも、その人のお顔を見て、その人に向かって語りかけます。Face to Face, これまでも私は病床にある方と、顔と顔とを向き合わせてコミュニケーションをしてきました。旧約聖書の創世記にはアブラハムが神様から多くを問いかけられたと信じて、どんなときにも諦めないで神様に向かって語りつづけていきます。たとえ病床訪問でターミナルの方が反応を示さないとしても、その人の様子を観察し、その人とのこれまでの交流に基づいて、これまで通りの語らいをしていきます。病床におられる方の内側に、むしろその人の存在そのものに神性を信じながら関わりたいと思っています。先日来、田中みさ子さんの訪問を続け、肩にポンポンと触れながら「いつくしみ深き」を何度も繰り返し、つぶやくように讃美し続ける中で、みさ子さんの呼吸が整ってこられる様子に安らぎを覚えたとき、自分が幼い子どもを寝かしつけるときと同じ仕草をしていることに驚きました。人生のはじまりと終わりの姿は、人の関わりにおいても似通っている。人の安らぐ環境も似通っている。讃美を捧げるときには、聴く者も、歌う者も、ともに神様から慰められている。病床における気づきには、神様の導きがあるとしか思えない経験が含まれています。(中井記)