4月30日 礼拝のお知らせ
礼拝のおしらせ
こどもの礼拝(9:00-9:40)
主日礼拝(10:15-11:15)
・説教者:中井牧師
・説教題:「愛することは」
※新型コロナウィルス感染症への対応
・礼拝堂・会館などに出入りする際には手指消毒を徹底してください。
・礼拝出席はマスクの着用をお願いします。
・体調の優れない方は出席をお控えください。
・讃美歌は小さな声で歌ってください。
・教会備付の聖書と讃美歌は使用しません。
・礼拝堂の換気をしています。
・礼拝堂の人数制限(80人)を行っており、上限を超えるときには礼拝中継を実施しているキリスト会館2階へとご案内しています。ご了承ください。
Youtube と Facebook で礼拝を配信しています。
—牧師コラム「麦嵐-bakuran-」—
先日、倉敷に緩和ケア病棟をもつ病院へ、傾聴ボランティアに伺う機会がありました。緩和ケア病棟はホスピスとも呼ばれ、積極的な治療を停止して、痛みや苦痛を緩和する環境をもつ病棟です。傾聴ボランティアとは、こちらで過ごされている方の語る言葉に耳を傾けていく活動のことで、私には宗教者として牧師として、人間の魂の問題を取り扱う専門的な傾聴スタッフとしての役割が期待されます。私が訪問した方は、かつてご自身が所属していた業界で活躍された方で非常に深い知識をお持ちでした。華やかな活躍をされ、ご自身の事業もおありで忙しくしていたところ、突然の発病、そして病気に対しての積極的な治療に限界があることを知らされ、その事実について、たいへん残念で無念な気持ちをつよくお持ちの方でした。残念である、無念であるという気持ちを思いの丈さけびたくなることがあります。成熟した大人というのは、悟り、諦念の境地で理性的に振る舞うことを要求されるように思うかも知れませんが、理性的な振る舞いだけが人間の成熟を証明するわけではないように思っています。その方が人生においても事業においてもまだまだ途上にあり、ご自身が描いていた未来があり、それを成し遂げたいという要求がある中で「諦めなさい」「断念しなさい」といえる人間は誰ひとりいないはずです。ただ神だけが、人間に断念を強いるのです。そのときに大きな声で「残念だ」と叫ぶことのできる場所が、この世に必要だと私は思っています。なぜならば手放すには惜しく、残念で仕方がないと断言できるほどの、その人にとっては手放したくない貴重な時間や体験を「その人が手にしていた」ことの証左であり、それを神が引き裂く瞬間を味わっている途上にあるからです。この苦しみを一人で担うには重すぎる。そうした重荷を誰かが一緒に引き受けようと試みる働きの一つが、傾聴ボランティアだと思っています。(中井記)