8月28日 礼拝のお知らせ
礼拝のおしらせ
※礼拝堂建築100周年記念事業として礼拝堂大屋根葺き替え工事(工期7月18日~9月末頃)が進んでいます。礼拝は当面、会館1階を会場に執り行います。
こどもの礼拝(9:00-9:40)
主日礼拝(10:15-11:15)
・説教者:中井牧師
・説教題:「先の者が後に、後の者が先に」
※新型コロナウィルス感染症への対応
・礼拝へのご出席はマスクの着用をお願いします。
・体調の優れない方は出席をお控えください。
・讃美歌は奏楽を聴くのみで歌詞を味わい黙想して下さい。
・教会備え付けの聖書、讃美歌は使用しません。
・礼拝堂の換気をしています。
・礼拝堂の人数制限(80人)を行っており、上限を超えるときには礼拝中継を実施しているキリスト会館へとご案内しています。ご了承ください。
Youtube と Facebook で礼拝を配信しています。
—牧師コラム「麦嵐-bakuran-」—
去る8月15日に突然の依頼で、齋藤猛さんという方の葬儀式を執り行うこととなりました。齋藤さんは倉敷に愛着をもちつつも世界で建築士として働かれた方でした。私は、葬儀式を執り行った後に奥様とお話しする機会があり、そこで奥様の御祖父が八浜徳三郎という明治時代の牧師であることを伺いました。八浜徳三郎は岡山に生を受け、笠岡教会で受洗し同志社大学大学院を修了します。卒業後はアメリカン・ボードのホワイト宣教師と共に津山伝道を行い、その後、同郷のよしみにより留岡幸助が主筆であった組合系の『基督教新聞』の編集を助けていきます。やがて京都の洛陽教会、神戸の活田教会の牧会に従事します。活田は神戸の貧困地域にあたり、八浜徳三郎はそこで食うや食わずの人々のための働きを続け、その中で失業者のために人事相談所と職業通信社という事業をおこし、人々の暮らしの底固めをする働きをしていくのです。やがて1911年に牧師を辞し、大阪において大阪職業紹介所を設立して、貧しい人々の暮らしを支援するという彼なりの信仰の表出をしていくのです。大阪職業紹介所を開設した折の彼の居室に掲げられた「自省」は「神仏はしばしば獣に身を化えて我らの良心を試し給う。ゆえに世の弱者は神仏の化身なり。(中略)何らの理由ありといえども決して怒るなかれ、敵するなかれ、何人にも愛嬌よく決して議論がましき言葉を発するなかれ。諸人に寛容に、諸人の僕となれ(※注)」との言葉が掲げられ、牧師を辞めて実業の世界で人事をサポートすることを決意した八浜徳三郎が、生涯イエス・キリストの弟子として弱く小さくされた人々と一緒に生きたことを証しています。この度の齋藤猛さんご夫妻との出会いを通じて、私は偉大な先輩牧師の足跡に触れるご恩寵をいただきました。(※注:一部を中井が現代語に改変)(中井記)