8月27日 礼拝のお知らせ
礼拝のおしらせ
こどもの礼拝(9:00-9:40)
主日礼拝(10:15-11:15)
・説教者:中井牧師
・説教題:「円周率の下四桁」
※新型コロナウィルス感染症への対応
・礼拝堂・会館などに出入りする際には手指消毒を徹底してください。
・マスク着用は個人判断でお願いします。
・体調の優れない方は出席をお控えください。
・讃美歌は小さな声で歌ってください。
・教会備付の聖書と讃美歌は使用しません。
・礼拝堂の換気をしています。
・会館2階でも礼拝中継を実施しています。
Youtube と Facebook で礼拝を配信しています。
—牧師コラム「麦嵐-bakuran-」—
先日、倉敷教会の歴史についての問い合わせがあり、岡山博愛会教会に深く関わったアメリカン・ボード宣教師のペティ・アダムス先生が倉敷教会でも関わっておられただろうかという内容でした。『倉敷基督教会略史』を紐解くとp.2-p.44にペティ先生のお名前が頻出します。書籍の該当の時期は倉敷教会設立前史にあたる部分で、教会創始者のひとり木村和吉が記した「播種より発芽迄」という文書となっており、「播種より発芽迄」そのものが倉敷基督教会設立までを記しています。明治13年に岡山教会が設立され、明治15年には倉敷で講義所が開かれていきます。この講義所では「耶蘇教講釈」の看板が掲げられ毎週金曜日夜に演説会が開催され、約50名の聴衆がいたとのことです。この講義所では同志社出身の川越義雄先生が伝道説教を行っています。同年、川越先生の子息が亡くなり、倉敷で最初のキリスト教式葬儀が執り行われます。そこにペティ先生も参列しています。明治20年代から30年にかけては日本社会において排外思想が広まり、教勢がみるみる衰えていきます。やがて明治37年には「倉敷伝道会」が設立され、その組織が岡山と倉敷とで合併して「岡山県聖書伝道会」と称し、溝手文太郎牧師を迎えて倉敷・香登・早島というエリアを伝道圏として宣教活動を行います。この組織が明治39年に発展的解消に至り「岡山県伝道会」が設立された頃から、木村和吉らは倉敷の独立した伝道のビジョンを描き始め、5月に木村和吉、浅野義八、大原孫三郎、林源十郎、高戸猷とで倉敷基督教会を興すことを協議し、6月には怒濤の熱心をもって教会設立の手続きを行い、7月1日に教会設立総会を挙行して倉敷キリスト教会の設立となっています。ペティ先生は教会設立式の祝詞を捧げて下さっています。日本初のセツルメント事業(地域に拠点を立て、主催者も地域で生きて、困難な課題を協働で解決していく事業)を岡山で立てたペティ先生と倉敷教会の関わりについて、ほとんど資料はありませんでしたが、教会草創期の人的交流の熱心を垣間見る機会となりました。(中井記)