9月10日 礼拝のお知らせ
礼拝のおしらせ
こどもの礼拝(9:00-9:40)
主日礼拝(10:15-11:15)
・説教者:林副牧師
・説教題:「腰を据えて考える」
※新型コロナウィルス感染症への対応
・礼拝堂・会館などに出入りする際には手指消毒を徹底してください。
・マスク着用は個人判断でお願いします。
・体調の優れない方は出席をお控えください。
・讃美歌は小さな声で歌ってください。
・教会備付の聖書と讃美歌は使用しません。
・礼拝堂の換気をしています。
・会館2階でも礼拝中継を実施しています。
Youtube と Facebook で礼拝を配信しています。
—牧師コラム「麦嵐-bakuran-」—
同志社大学神学協議会2023年度においては神学部の石川立名誉教授による「バーチャル空間と、肉となった神の言葉」と題してのご講演を頂きました。講演の内容はコロナ禍における教会の宣教の苦難に触れ、一気に推進されたオンライン牧会の現状が語られ、同時にインターネットを通じた主の宣教はあるか?との問いかけがなされました。感染症が流行する中では「実際に会う」リスクが高まったことから〈こころ〉と〈からだ〉の分断が明確になり、社会においても〈からだ〉が厄介な存在と見做されやすくなりました。とくに老いた体、障害を得た体は負担である、と。しかし、果たして〈からだ〉を厄介で面倒なものとして取り扱い続けることで暮らしを整理できるのでしょうか。聖書には不自由な体に主イエスが触れることで始まる物語がたくさんあります。主イエスは、この世において自由にならない体を引き受けながら生きていくことを目指したのです。また教会は「キリストの体」という比喩で表現されてきました。厄介者と見做される〈からだ〉の中に神の御旨は働くと理解することができます。〈こころ〉と〈からだ〉の分断は、インターネットのつながりであるバーチャルと、現実のつながりであるリアルとが分断されているかのようにも思われます。インターネット技術が社会の欠かせない技術であると同時に、インターネット技術を用いた中に身体性を見出していく知恵が求められています。私たちの教会でもインターネットで礼拝が配信されています。インターネット配信には愛があるのか、ないのか?礼拝の配信をご覧になられる方から、私たちはリビングで夫婦揃って見るようになりました、部屋では讃美歌を大きな声で歌えています、そんなことを聞くようになりました。私は、インターネットは道具でしかないけれども、その発信者、その受信者のそれぞれの場において愛が実現されていくところに、〈こころ〉と〈からだ〉の和解を促す営みがあるように感じながら、石川先生のお話を伺っていました。(中井記)