7月10日 礼拝のお知らせ
礼拝のおしらせ
こどもの礼拝(9:00-9:40)
主日礼拝(10:15-11:15)
・説教者:林副牧師
・説教題:「救い主イエスを送るまでに」
※新型コロナウィルス感染症への対応
・礼拝へのご出席はマスクの着用をお願いします。
・体調の優れない方は出席をお控えください。
・讃美歌は奏楽を聴くのみで歌詞を味わい黙想して下さい。
・教会備え付けの聖書、讃美歌は使用しません。
・礼拝堂の換気をしています。
・礼拝堂の人数制限(80人)を行っており、上限を超えるときには礼拝中継を実施しているキリスト会館へとご案内しています。ご了承ください。
Youtube と Facebook で礼拝を配信しています。
—牧師コラム「麦嵐-bakuran-」—
主イエスはイスラエルの中心都市エルサレムから見れば「辺境」の地ガリラヤに育ちました。新しい世の救いは必ず「辺境」から生まれます。「辺境」は「中央」とは別の文化をもっている場所を指す言葉です。その意味では「中央」の影響を受けることによって生じる「周辺」とは違います。建築家の青木淳さんによると文化とは「人と空間との関係が、当初の機能以上に成熟し、その関係から新たな機能が育まれていく課程」であると語られています。原っぱと遊園地の違いです。原っぱは、そこで行われることが空間の中身を創る場所。遊園地は、あらかじめそこで行われることが設定されている場所です。「辺境」は原っぱ、「周辺」は遊園地。そして、教会は「かしらなるキリストの肢(辺境)」であったとしても「中央にある教団の肢(周辺)」ではありません。与えられた条件の中、そこにおいて主に招かれた人々との相互作用によって、草創時には無かった役割を見つけ出し、変わりゆく次代に応じて活動を変化させつづけることが原っぱの教会であり、それが文化的な教会であるということになります。私たちの倉敷教会は日本基督教団につながる「周辺」教会ではなく、キリストの「辺境」教会として、この倉敷に主が用意された人々と共に「原っぱ」に生き、固有の宣教が続けられてきました。そして、その働きは今も行われている真っ只中なのです。(中井記)