5月14日 礼拝のお知らせ
礼拝のおしらせ
こどもの礼拝(9:00-9:40)
主日礼拝(10:15-11:15)
・説教者:中井牧師
・説教題:「私たちが来て帰るところ」
※新型コロナウィルス感染症への対応
・礼拝堂・会館などに出入りする際には手指消毒を徹底してください。
・礼拝出席はマスクの着用をお願いします。
・体調の優れない方は出席をお控えください。
・讃美歌は小さな声で歌ってください。
・教会備付の聖書と讃美歌は使用しません。
・礼拝堂の換気をしています。
・礼拝堂の人数制限(80人)を行っており、上限を超えるときには礼拝中継を実施しているキリスト会館2階へとご案内しています。ご了承ください。
Youtube と Facebook で礼拝を配信しています。
—牧師コラム「麦嵐-bakuran-」—
先日、千里聖愛教会の羊毛フェルト作家である泉谷千賀子さんから、ご自身の作品を提供して制作された久保のどかさん著『神さま、なんで? 病院の子どもたちと過ごす日々』をご献本頂きました。久保のどかさんは淀川キリスト教病院のパストラルカウンセラーとして、特にこどもホスピスのチャプレンとして緩和ケア病棟で暮らすこどもたちと一緒に魂のケアを見つめ続けておられる方です。私が倉敷教会へ招聘された時期は、淀川キリスト教病院はこどもホスピス設置の準備をしていました。医療関係者だけでなく宗教者や文学者の協力を得ていました。人間は、心と体と魂とで構成された存在であり、そのすべての健康を医療行為の目的とするという「全人医療」を掲げた淀川キリスト教病院には、久保のどかさんのように宗教者が医療スタッフとなって患者の側に居続けています。Do(何事かを成す)ことに価値を見出しがちな現代社会において、その価値観であれば一方的にケアされる立場の患者は社会的に無価値と見なされても仕方ありません。しかし、本当に「何事かを成し」続けられなければ人間に価値はないのでしょうか。この問いに対する答えは ”No” です。ただし、このことを確かに語るには、人間の社会を俯瞰して、その「存在そのもの」Be(存在すること)こそが愛おしいと思える「まなざし」が必要です。人間関係の中で、相対する人の存在そのものが愛おしいのは当たり前であり、しかもそれは常に相対的です。同時に、神のまなざしは絶対的で、人の存在の尊さは揺るぎません。その確信を語るには信仰をもつ立場を公にした人が適任となっていきます。医療機関で奉仕する宗教者は、そのような魂の援助者としての働きを続けているのです。(中井記)