7月16日 礼拝のお知らせ
礼拝のおしらせ
こどもの礼拝(9:00-9:40)
主日礼拝(10:15-11:15)
・説教者:中井牧師
・説教題:「怖れることはない」
※新型コロナウィルス感染症への対応
・礼拝堂・会館などに出入りする際には手指消毒を徹底してください。
・マスク着用は個人判断でお願いします。
・体調の優れない方は出席をお控えください。
・讃美歌は小さな声で歌ってください。
・教会備付の聖書と讃美歌は使用しません。
・礼拝堂の換気をしています。
・会館2階でも礼拝中継を実施しています。
Youtube と Facebook で礼拝を配信しています。
—牧師コラム「麦嵐-bakuran-」—
私はいまも教師として御言葉を取り次ぐことの重さに苦しんでいます。人前で語れるような人間ではないという自覚をもちながら、聖書を開くたびに御言葉の方から迫ってきて背中を押し出される実感を味わい続けており、気分は預言者ヨナそのものです。神の招きから逃げ出したいと願う、そのような気持ちをいまだに払拭することは出来ないのです。それでも主の御旨ならば従って参りたいとの思いは、ゲッセマネの主イエスの祈りの言葉を我が呻きとして響かせてくださいます。主の呻きの祈りこそ私にとっては至高の慰めとして聞こえてきました。かつて准允を受けて間もない頃のことです。私が担任教師として遣わされていた神戸教会で、私はある方にこんなことを言いました。「私は、学びも信仰も浅く、みなさんの期待に応えられる働きができません」。すると、その方は「私は先生を信頼しています。先生が、私よりも若いからとか、学びが浅いからもしくは深いから、ということで信徒が先生を信頼するかどうかが決まるのではないんです。信徒というのは、この世の中に、自分のために祈り、自分のために生きてくださっている、この世の中に自分のためにそのように生きてくれている人がいる、ということに励まされて、支えられているんです。先生は、少なくとも、私たちのために生きるという決断をして教師をされている。ですから、私は先生を信頼しています」と。神が与えて下さる出会いを通して、私はいまも自分自身の信仰が折々に打ち砕かれ、そのたびに圧倒的な存在である神の方から私の信仰を再建し続けていただける経験をしています。(中井記)